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どれほどの速さで生きれば、また君に会えるのか

Happily ever after で終わる、
"閉じた物語"と呼ばれるストーリーは安心感があります。
一方で、本を/物語を閉じてしまうことで、
「お話はお話、私は私」という切り分けが出来てしまう。
もっとも、その切り分けこそが物語から戻って来れたという安心感の正体でもあるわけですが。



「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」
の公開から2度の週末が経過したので、そろそろネタバレ込みの感想を書いて行きたいと思います。
未観賞の方はブラウザバックをお願いします。



今回の着眼点は3つ。
ざっくり感想を漁った感じ疑問的否定的に捉えられていた部分について言及して行きたいと思います。


なぜ13歳なのか

まずこの話題から始めましょう。
これは、本作を原作と比較した時に毎度指摘されるポイントですね。
その理由は2つあると私は考えました。


・行動範囲の拡大

原作版では、典道となずなが「かけおち」するのは、家を出て(自転車ではなく徒歩)、
バス停からバスに乗り(母親の妨害は入らない)、駅に着く所まで。
駅に着いて着替えのシーンまでは同じだが、その後なずなは電車の切符を買わずに、2人で帰りのバスに乗ってしまうんです。
その後夜の学校のプールに忍び込み、(映画では海で行われたように)服のまま水の中に入り遊び、別れます。

映画版では、自転車で駅まで行き、電車に乗り、その後2人きりになり……という流れです。

小学生2人では、映画とはいえ電車に乗ってかけおち、なんていう展開はあまりリアルではないですよね。(アニメニリアルトカイウナヨ-)
そういう意味でも中学生という選択をしたのは納得がいきます。


・アニメとしての表現・受容への影響

設定を外見年齢で調整できる実写映画と、設定が観客の印象に強く影響を与えるアニメ映画との違い、は指摘しておきたい点です。
アニメの場合、「小学生」という設定になると「小学生的」な演出にならざるを得なくなります。
アニメは媒体として、小学生・中学生・高校生・大人をはっきりと描き分ける印象があります(一部特殊性癖向け等は除く)
小学生的な演出になると、子供っぽいという印象を受ける人も多くなるでしょう。
すると必然的に観客がキャラクターを「小学生」という目で見てしまうことは間違いありません。

なずなをエロいと言っている感想を多々見かけましたが、これ、もし小学生という設定だったら、どうでしょう?
……みんなヤバい人ですよね。
このように、主人公に感情移入/没入するにせよ、ヒロインに魅力を感じるにせよ、小学生という年齢はアニメでは引っかかりが起きるわけです。
シナリオ変更をしたアニメ版において没入感はとても重大な意味を持つ要素になっており、そのハードルを下げるために中学生にするという設定変更は妥当であると思います。

ではなぜ中学1年生なのか。どうせ変えるなら2,3年生、あるいは高校生ではダメなのか。

この作品では同年齢である典道となずなの成長の差という点も重要なカギを握ります。
女子が男子より大人びている期間はそう長くありません。
中学も2年生くらいになると、男子は二次性徴期にさしかかり、身体も大きくなり、テストの点でも男子が伸びるようになったりと、立場が逆転してしまう。
そうなってしまうとこの作品の前提が壊れてしまうんですね。

そのため、中学1年生というのは、設定としてギリギリかつ絶妙な改変と言えるのではないでしょうか。




男子のガキっぽさと、女子(なずな)の大人っぽさ

この作品では、男子の集団は徹底的にガキっぽく書かれています。
と言うのもそのはず、上で多少言及したように、この時期の男子はお子ちゃまもお子ちゃま。
女の子もちょっと気になるけれど、それよりも男同士の友情の方が大事って時期です。
何かあればすぐ賭けごとを始めるし、終始言動はくだらないし、微笑ましくなってしまいますね。

クロールの競争で典道と祐介がなずなに負けるシーンが有りますが、これは成長の速さのメタファーでしょう。
典道の方が身長が低い点については言わずもがな。
服装にしても、典道は首回りが伸びたTシャツという、オシャレなんて頭にないような服装です。

そんな子供っぽい男子から見ても、なずなはとても魅力的に映るわけです。
それは映画を見た皆さまには説明不要のことでしょう(笑)


個人的に好きなシーンは、
電車の中で「瑠璃色の地球」を歌い出す場面。
特徴的な目のカット含め、終始魅力的に描かれていたなずなですが、
あのシーンのなずなは何か本当に恋に落ちるような、そんな感情を抱きました。

選曲がまたニクいというか、歌詞と画面描写の合わせ技で、駆け落ちの束の間の全能感というか
「この子がいれば何でも出来そう」とまで感じられる思春期の心の浮揚そのものを表してるような場面ですよね。

しっかし、広瀬すずさんって歌上手いんですね。声優だったらハマっていたかもしれません。


閑話休題。

そんなガキな男子たちも、最後もしも玉がはじけて自分たちの願望が映ったとき、好きな女子の名前を叫び出すわけですから、あぁ、成長だなぁと。
まぁ祐介は自分の好きな女子を典道に譲ろうと無駄に気を利かせるほど、一応周りが見えているキャラではありましたが。
……あれ、地味に策士というか、そらガキの典道は気づかないわなってなりますね。
祐介くんかわいそう……。




ラストの解釈について


さて、皆さんは最後のシーンどう思われたでしょうか?
というのも、ラストの学校の点呼のシーンは、原作にも無く、映画の小説版にも無い、オリジナルストーリーだからです。
実際問題、この映画についての考察が書かれたブログをいくつか拝見させていただきましたが、意見は割と分かれていました。
中には「最後だけわからなかった」という感想もありました。


あくまでこれは私個人の感想だということを重々承知で言わせていただくならば。
あのストーリーにした理由は、


13歳の物語は、閉じてなどいないから、です。


典道がどこにいるとしても
(「もしも」の消えた現実を受け止められずにいるにせよ、なずなを追い掛けに行ったにせよ、)
「学校にいない」ということが唯一で全ての答えかなと思います。

最後にもしも玉が弾けたときに花火が丸くなって元の世界に戻ったと同時に、
「もしも」を実現させる手段を失ってしまったわけで、
現実逃避するにしても、それ以上世界にこもるギミックがない、
という描写からの推測により、私は後者を推してはいますが。


だからこれは、
「もしも」という「終わった可能性の話」であり、
「13歳」という「これから始まる可能性」の話だ。


「次に会えるの、どんな世界かな? 楽しみだね」





追記
個人的にラストの解釈はそんなに重要視していないというか、あのやんわりとした感じが好きなのであまり深掘りしたくないという好みが出てしまいました。
ただ、原作からの付け足しポイントなので、どういう風に捉えるかみたいな方向性を示しておきたかったところはあって。それでも解釈の幅を持たせるためにあんまり制限はかけたくなくて。そんなところです。

最初のループ前の一面のなずな野原に入って行くシーンの会話好きなんですけど、
最後になずな野原が風にそよぐところ映ったじゃないですか。ということは……?
みたいな話じゃないかと僕は勝手に思ってるんですけど、その辺の解釈も人によりけりかなと。




追記2
なぁ、三浦先生のおっぱいって、丸いと思う? 平べったいと思う?
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突然ですが、等身大の中学生像といってピンとくる人はどれくらいいるでしょうか?
自分の中学時代の感性や考え方、それから世界の見え方、思いだせますか?

本作は、それを思い出す良い機会になったかもしれません。


只今公開中の映画、
「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか?」


元となった実写映画が24年前のものということもあるせいか、舞台の中の設定は昭和がかったところがいくつも見られます。
女の先生にセクハラするシーンがあったり。(今だったらいろんな団体がうるさいですねきっと)
携帯電話や通信機器の類は一切出てこなかったり。

しかし、今と変わらない物もあります。
放課後に友達と遊ぶゲーム。
好きな子の話題で騒ぐおバカなノリ。
そして、
住んでいる街が、学校が、友人関係が、自分にとって世界の全てのような、
年齢ゆえの視野の狭さと、無力さ。


中学生という年齢だと、自分1人の力ではどうにもできない理不尽ってありますよね。
何もわかっていない身分ながらしかし、「大人の事情」なんて雑な言葉で収めるには納得できない思いを抱えるものです。
それがもしも自分の力でなんとかなったら。
選択肢は、可能性は、無限です。そしてその選択肢は待っているだけでは生まれません。自らの手でつかみ取るしかないのです。
ほんの少しの背伸び。ほんの少しの悪あがき。それさえあれば願いが叶うとしたら……!


本作は言ってしまえば、主人公の典道とヒロインのなずな、2人の中学生の男女が家d……逃避行をする話です。
なずなの言葉を借りれば、「か・け・お・ち」ですね。
「もしも玉」という、ifの世界を実現するための不思議な力を借りて、
主人公が少しずつ、なずなのために2人きりになるために周りの事象を修正していきます。


ヒロインのなずなは家庭の事情が複雑なこともあり(かけおちの原因もこれです)、
他の同年代の子よりも大人びた性格や振る舞いをします。
このちょっと思わせぶりというかミステリアスというか、そういう女子ってドキドキしますよね。
おまけに美少女ときたらそれはもう人気にもなるってもんです。

正にそういった雰囲気を表現すべく、描写にも力が入っています。
なずなの目のアップのカット(シャフ度っぽさ有り)がたくさんあり、毎回毎回その魅惑的な目にやられてしまいましたね。
広瀬すずの若干ハスキーな声とも相俟って、ゾクゾクするような女の子に仕上がっています。
是非注目してほしいポイントの一つです。
(余談ですが観賞後にパンフを買ったら正にそのことが書いてあってガッツポしました)


また、同じプロデューサーの手がけるアニメ映画ということで、TVの宣伝等で「君の名は。」と比較されていましたが、
この2つを比べるのは間違いだと思います。

「君の名は。」は物語展開としてはいわゆるジェットコースター型と言われるような、
カメラの寄りと引きを上手く使い、物語としてもスケールの大きい(村全体を巻き込むような)形となっているのに対し、
「打ち上げ花火~」は、あくまで徹底的に2人の世界を中心に描く物で、内面的な機微の描写が大きくなります。
(その表現に目の描写だったりファンタジックとも言えるような比喩的描写を使っていて画面的には華やかですが)

そのため、展開1つ1つに対して観客が2人の"等身大"な目線に立って理解する必要があります。
こういったオタク文脈的な行為は、物語を受容しなれていない方には厳しいでしょうね。
そういう意味でこの映画は、素晴らしい物を持っているにも関わらず、人を選ぶ/評価が割れると言わざるを得ないでしょう。
オタク感性のリトマス試験紙と言っても良いかもしれません。


ここまでシナリオ面だけを語ってきましたが、音楽面でも素晴らしいところがいくつもあります。
そちらは本編でのお楽しみということで。
個人的には今年の夏見逃せない映画の1つかなと思っています。是非、劇場に足をお運びいただければと思います。

そして僕と感想合戦をしましょう!!(これが言いたかった)


それでは。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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